皆さん こんにちは!!
さすがに、夏至を過ぎると暑いです。節電でエアコンも遠慮気味で、何処も暑いです。
私が10代20代のころは、エアコンはぜいたく品で、小学校のころは、庭、道路で、たらいで、水浴びの日々で
夜は、スイカとラムネ、昼は、カキ氷でした。蚊帳があり、窓も、玄関も開けっ放しで寝てました。
庭には、へちまと朝顔が咲き、麦藁帽子にサンダルでした。考えれば、最近の30年で生活レベルが大きく変わりました。車も、クーラー(エアコンみたいなもの)がなく、窓を全開で走ってました。お陰で排気ガスで、顔は真っ黒になりました。
オイルショックの1次2次の省エネは凄かったです。スーツが半そででネクタイ締めてました。
今の国会議員は皆さん亜熱帯のインドネシアかタイ並のスタイルです。アロハもOKです。
昔は30度の温度でしたが、今は36度〜38度です。30度は涼しいという、変な感覚です。昔は、我慢が美徳とされ、
服装も厳しく、躾がありました。学校の先生からだらしないとよく怒られ、ものさしでパチンとたたかれましたけど
元気でした。みんな真っ黒で、虫かごとあみを持ち、川、海、山と行きました。懐かしいです。そう思うと、今は、熱中症で倒れます。それだけ、気温が上がったのでしょう。話がそれました。本日のテーマ、法然でした。
法然は今の岡山の美作(みなさか)で武家の家で生まれてます。(宮本武蔵も此処で生まれてます)幼時に父が殺されて、叔父が僧で、此処で育ち、仏縁をえてます。父が在命中の時から、僧になれといわれてました。やはり才覚があり9歳で比叡山延暦寺に入り勉学に励みました。そして修行三昧です。元々仏縁在る身ですので頭角を現して、「智慧第一の法然房」といわれるまでに成長してます。比叡山は最澄が開山して天台宗を開き、法華経学、浄土教学、天台、密教と学び、特に浄土教学と天台教学を深く学び
後の法然の南無阿弥陀仏の元を学んでます。その過程で日本仏教の伝統に疑問を持ち始めます。当時の僧の地位は貴族階級で武士より上の身分で庶民とは隔世してました。人間的完成を目指すのが仏教です。しかし、仏教に才覚と修行に耐えなければ、
大乗仏教にはなりません。仏の救済は限られた人だけになります。大いなる仏教の矛盾を感じたのでしょう。
その矛盾に気がつき、人間の本質に擬視し続けて、悟りの境地に達します。達観です。
本来仏の教えは広く身分に関係なく、救われるべきだ!!そして比叡山を降りて、市中に入り、男女、身分に関係なく
仏の教えを説きます。空海と同じく、エリートから見事に脱落です。そして「一枚の起請文」を出します。
人間の本性は迷いばかり多い凡夫である。人間とは「わがちから」、自力では往生は愚か、修行を重ねることも出来ない存在である。法然は自ら凡夫と自覚しました。此処から庶民信仰となる、独自の宗教の追求の始まりです。
法然は唐時代の僧、善導が現した観経しょ、です。本質は阿弥陀如来への信仰で名号「南無阿弥陀仏」を依拠しました。
此処に、念仏である南無阿弥陀仏を唱えればみんな、極楽浄土にいけるとしました。当時は末法で仏の教えが届かない、世界とされており、念仏を唱えれば、誰もが、極楽にいけると喜び信仰しました。南無とは従いますという意味ですから、私は阿弥陀如来に
従い、つかえます。これは日本の仏教革命でした。念仏を口に唱えるくらいは如何なる凡夫でも容易に実践できる。これは庶民に向けた卓抜した発見でした。仏法の不思議の力は広大無辺であることを広めたのです。
念仏を信じる人は、たとえ一生かけて学ぶ物事をよく理解していたとしても、まったく何も知らない身として尼入道(在家のまま剃髪して仏門に入った女性)の何も解らない人と同じように、智者の振る舞いをせずに、ただただ一身に念仏せよ。己を飾らず、無知の者と自覚して振舞うこと=一枚の起請文です。念仏を題目として本願とせよ=これぞ真髄です。
人間は元来が煩悩の塊で、凡夫であると自覚すと処から人間の本質を問い、救済は念仏である!!。
次回は26日となりなす。法然の弟子親鸞です。二人とも、時の幕府から僧籍を剥奪され、親鸞は新潟、法然は四国にとばされました。
顕空。南無阿弥陀仏。合掌。