皆様 こんにちは!!
毎日の連載が飛び飛びですいません。天候不順と同じく、私の体調&精神&心がなかなかシンクロしませんでした。
体調が悪く、何も出来ない状態でしたが、カツを入れてもらいました。
日蓮は平安鎌倉仏教のアンカーで登場してきます。末法思想にこだわりがありました。この辺は道元は違い、
法然、親鸞に近いです。末法思想は、今の世の状況は最悪と受け止めてます。これを逆説に捉えて、世の中がよくなることでもある、と読んでます。此の基本認識に立脚し、日蓮は次々と新機軸を打ち出していきます。「法華経」こそ正法と言う確信にに到達し解脱と悟りをえます。「法華経」がよのすみずみまでいきわたったとき、人間は誰しも行きながらにして仏になる即身成仏と成ることが出来る。この辺は空海と同じです「即身成仏」です。穢れの多い現世もまた仏の住む浄土である「娑婆即寂光土」事が明らかになる。とくことが新奇であるだけに、人を納得させるこちは容易でなく、言説も段々と過激になりました。日蓮の論法は大体がにおいて真っ当で、現代の学問の常識からすれば当然の原典主義をうらぬいてます。この実証性が信徒をひきつけてます。鎌倉将軍など相手に此の原典主義の論理性を持って相手にして、相手は相当にたじろいたそうです。ここから、日蓮の法難が始まります。
日蓮も天台宗で色々な教学を受け、千葉で修行して、鎌倉に行き、時の幕府に意見してます。
そして京都、で公布活動してます。エリートですね、と此の幕府の将軍に会えることはそれなりの身分です。
現代風なら、空海、法然、親鸞、道元、日蓮と皆さん、ドロップアウトして、自己の信じる道を万難を受けても、
やり続けてます。身を挺してでも実行です。これを支えるエネルギーは真っ直ぐな信仰信念の言葉です。
日蓮は終生我は「民の子」と自覚してました。そのことを絶えず相手に意識させたそうです。
日蓮曰く、「日本に法華経を信奉する人は多いが、そのうちの誰も誤った生き方をしている人物はいない。我、日蓮は日本第一のの法華経の行者である。」日蓮は激しい迫害に遭いながらも、それに決してくじけることこがなく、其処には、法華経が仏の使いの受難を予言する特異な経典であると言う事実が根本にはありました。法華経を人生のすべてを捧げるものとして選んでいた日蓮は、だからこそ自らを「日本第一」と叫ぶことが出来たのでしょう。そして、日蓮は信徒には包容と優しさで接してました。
「総ての事は親に従わなければいけないのだが、仏になる道にとっては、それに従わないのが、本当の親孝行の発端でありそうだ。救法においては、親に逆らうことも辞さないという覚悟が見て取れます。」「日蓮は正統主義だった。法華経が正法だという絶対的な確信の下に布教を行った。知らずにに忍び寄ってくる悪から人々を救うための方法として、法華経への帰依を勧めたのである」
北条時頼に日蓮が呈上した{立正安国論}は有名です。当時の天変地異は法華経にそむいた結果であり、法華経を信じなければ、安国にならないとといてます。
日蓮は、時の幕府と折り合い悪く、佐渡島に流罪になりました。ここらは法然、親鸞と同じです。
日蓮は、死を目前にして、故郷(安房国)を見せて欲しいと願いながら60歳で役割を果たして、仏の世界に行かれました。
いかがだったでしょうか。仏の下で人間の持つ、煩悩、迷い、不安、悩み、の解決として、日本仏教の開祖の救いの言葉があります。
パワースポットだと思います。あの当時の僧はエネルギーの塊とですね。宗派、心情、信仰は人間が創る者なんです。
仏、神、は揺るぎません。存在してます。日常どうのようにして、共に歩むかです。
そして、希望、夢、自立、勇気、、、、。これらは与えられるのではなく、自らが、チャレンジして得るものかもしれません。
失望、恨み、ねたみ、自己嫌悪、、、様々あります。仕事がない、お金がない、のナイナイ尽くしかもしれませんが、
社会、世間は自己の心の鏡です。人生は頂上のない山です。人生終わるまで、努力と感謝と修行です。
元気よく生きてまいりましょう。
顕空。「南無妙法蓮華経」 合掌。
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