全国の皆さん こんにちは!!
政治が動き始めました。解散が近いようです。永田町はてんやわんやのようです。
経済はアメリカも日本も0金利政策、それでもよくなりませんが、、、、。
永田町、霞ヶ関、大手町(経団連)このトライアングルがどうなるかですね。
昨日は大風邪を治そうと点滴、座薬、吐き気止め、等いただきましたが、熱が下がらずフラフラです。
仲間の僧侶で鉄人28号と呼ばれる僧侶が居ますが、風邪、インフルエンザ、疲労、とかまったくなく、天下無敵の人が
今回は風邪を引いて、ダウンしてました。考えてみれば、毎月登山ばかりしてました。疲れが出たのでしょうか、、、。
九度山から高野山に入り、そこから熊野三山、その後、石鎚山から天狗岳、小豆島、日本アルプス縦断ですから、体が休まってません。
疲れが出ました。経理のおばちゃんもダウンで、これが支払い等はCDで管理しており、本人が居ないとわからない、おかしさです。
かんべんしてくれ〜です。座薬が効いてるうちにブログをUPします。
日本の伝統文化の源流は寺社文化から出てることは間違いないです。古墳もありますがこれも宗教的儀礼です。
神社とお寺、一体ながどう違うのか?わかってるようで、深くは知らないのが普通です。これが日本人の感覚だと思います。
まずは両者を比較検討してみましょう。たとえば「建築」ですが神社は日本風、お寺は中国風とされてます。これがどんな経緯で成立し、どのような特徴があるのかを深く知りたいですね。「崇拝対象」も仏様と神様に決まってますが、これだけでは不自由分です。たいていのお寺では仏像を本尊として拝んでますが、もともと仏教は偶像崇拝はありませんでした。ですから仏像がない時代も合ったはずです。一方の神社でも、そもそも神様は目に見えるものでなく、代わりに本殿に祀られてるものでも、見たことがある人は殆ど居りません。神の代理としてのものは多くありますが。さらに「婚礼」と「葬式」をめぐっても神社では結婚式、葬式はお寺と相場は決まってますが、歴史はその逆だった時代もあります。今日の神前結婚式を日本で初めて行ったのは「大正天皇」なんです。いざ比較検討してみると、個々の寺社を見ることのあいまさがあきらかになります。意外な事実も判明してきます。それを知ることで神社とお寺がずいぶん興味深く、身近な存在となるでしょう。
寺社の入り口は神社は鳥居、お寺は山門です。両方とも俗世から隔離され、境界線が鳥居と山門です。神社のシンボルの鳥居は参道の始まりを意味としてます。これより先は神々が降臨する神域。山門はそこをくぐることで仏の国に入ります。心が清められ、美しい心で仏を拝むことが出来ます。両方とも本来は信仰心のないものが境界から先に進むみ立ち入ることを本来は禁じてます。
鳥居の形も実は多様なんです。一般的には明神鳥居という形ですが、仏教の影響を受けてます。期限は明らかになってませんが、天照大神を誘い出すために鳥を記に留まらせ、鳴かせたという説もあり、鳳凰が留まるのが鳥居という説もあり、なんと同じようなものが、原始ユダヤ教にも存在してます。古代エジプト時代にも朱色に染められた、入り口が合ったそうです。モーゼの授戒です。アークを入れたものが神輿と同じだそうです。
山門はお寺の入り口にあります。「空・無想・無願」という悟りの境地「三解脱」にたるとされ、「三門」が正しい読み方です。
楽しいですね。500年1000年、3000年前の人類の歴史は楽しいです。
次回はより具体的にUPします。
神社の原型と思われる、社と三門から見たお寺です。出雲大社も同じようなつくりだったそうです。
顕空 南無大師遍照金剛 合掌礼拝。
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