全国の皆さん こんにちは!!
立冬であります。暦では冬です。この前まで真夏だったですが速いです。
私は左肩が痛く、肩の関節の中がうずく感じです。体全体のねじれですが、こういうときに限り、痛いところをドアーで打ち、肘まで痛いです。
整体と鍼ですね。経済はオバマショックですが日本では、真紀子ショックで文科省含めて混乱であります。中国は習近平が最高権力者で、どうも、日本とアメリカが嫌いらしいです。太子党の2代目ですので、(太子=王)、中国も政治、経済が江沢民VS太子党でさらに混乱するでしょう。巨大なおろちが暴れる状況です。
日本はここらで統治機構も含めて、リセットの時期が来てます。経済も失速がひどくなりそうです。学生、社会人、商売も含めて国民は苦労が増えます。
民主党の誕生は期待はずれでした。残念ですが、記憶に残る革新的な政治、経済の運営も無く、東日本激震と原発の事故の処理、予算、執行を見ても
?がつきます。新しい日本作りは、忘れたようです。自主憲法の制定を国民に問うことから始めてほしいです。
さて、寺社の違いをまとめて見ました。
1)自社の数 お寺=全国にある寺院は7万〜8万前後で、多いのは愛知、大阪、兵庫、京都、東京で世界宗教である仏教は海外にも寺院は多く、現存するものだけでも膨大です。 神社=神社本庁のデーターでは、日本国内で8万社あまり、多いものは稲荷社が約2万社、八幡社が約1万5千社、天神社が1万社ほど確認されてます。意外と古事記から来る神社が少ないのには驚きです。2)聖典 お寺=ブッダの教えから多様な解釈が生まれて、1万巻きの経典があります。これらをまとめたのが「大蔵経」・「一切経」と呼びます。経典が中心です。 神社=創始者のいない民族宗教であるために、明確な教義をまとめた聖典は存在してません。「古事記」や「日本書紀」、地方に伝わる物語を編纂した風土記などの文献を信仰の根拠として「神典」としてます。 3)起源 お寺=日本における最初の本格的寺院は6〜7世紀に蘇我馬子により創建された飛鳥寺が有力で「日本書紀」にも記述があり五重塔と3つの金堂を持つものだったようです。 神社=プルミティルな神社としては、神聖な場所に自然石の岩倉などを設け、祭りのたびに霊を迎える形態がありました。次第に祭壇を常設するようになり、小屋が作られ、やがて社殿となります。さらに御神体を祀る本殿が生まれました。現在に近い形となりました。神殿が作られるようになったのは7世紀頃からで、様式は仏教寺院からの影響が多く、よく似てます。4)特別な日・行事 お寺=ブッダの生涯にちなんで4月8日は誕生を祝う「潅仏会」、悟りを開いた12月8日は「成道会」、旧暦2月15日は入滅を記念した「涅槃会」が行われ、春と秋の彼岸も大切です。 神社=神社の行事は稲作のサイクルにそったものが多く、作物の豊穣を祈る春祭と、収穫の感謝をささげる、秋祭で春祭は「祈年祭」「お田植え祭」、秋祭は「新嘗祭」などと呼ばれ、年2回、半年分の穢れを清める「大祓」も欠かせません。 5)葬祭 お寺=日本人にとって、お寺と最も縁があるのが葬式です。しかしこれは江戸時代に檀家制度が設けられ、お寺が墓地を管理し始めて以降のことで、ブッダの教えとは直接関係はなく、便宜上の結果です。
神社=古くから死者に別れを告げる「神葬祭」という儀式ははありましたが、一般に行われるようになったのは明治以降。共同墓地が整備され、墓地を持つお寺以外でも葬式が出来るようになりなり、祝詞を読み上げ、玉串をささげる点は祭事と同じです。 6) 婚礼 お寺=多くの宗派で僧侶の結婚は認められてませんでした。明治以降、僧侶の結婚が認められてからは仏前での結婚式となり、形態は神前式に近く、僧侶から数珠を授かるのが特徴です。 神社=神道では男女の結びつきは尊いとしてます。ただ、結婚は私的な行事として、家庭内のイベントとして完結してました。戦前までは結婚式は自宅でしてました。神の前で結婚の儀式を行う神前式が広がったのは明治以降。当時の大正天皇が宮中の賢所で婚礼を挙げて、これが一般的に成りました。
お寺も神社も区分することなく、日本は融合しあいながら来てます。御利益、御神徳、もほぼ同じ考えです。あくまでも自らの努力の結果です。
次回は、出雲大社等です。実はお寺もたくさんありますが今回は出雲大社です。
顕空 南無大師遍照金剛 合掌礼拝
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