全国の皆さん こんにちは!!
春の爆弾嵐が過ぎてますが東北、北海道方面はまだ爆弾嵐です。
東北は苦難の連続ですが、いい日が来ます。来週は入学式と入園式、です。
心地いい春であるよう祈ってます。いい日旅立ちですね。
消費税はどうなり、話し合い解散はあるのでしょうか、経済も来年は更なる新卒の採用減です。
暗く、希望が見えませんが、前向きに、発見して起業がいいかもしれません。
過疎でCATV+光でIT通信が飛躍的になり、いいかもしれません。徳島ではすでに40社が出てます。
織田信長の世から豊臣〜徳川の世へ、乱世を強く生き、非業の死を遂げた女性「淀殿」
淀殿の念持仏「阿弥陀如来の像」。身の丈約1mの宗安寺のご本尊は、端正なお顔立ちの阿弥陀如来。この仏様は大阪夏の陣で
非業の死を遂げた豊臣秀頼の母、茶々こと淀殿の「念持仏」と伝えられる仏像です。寺伝によると1615年、大阪の夏の陣で、徳川方として
出陣した井伊直孝(彦根藩三代目藩主)は最前線で奮戦。徳川軍が優勢となり大阪城へ一気に軍を進めました。そのとき直孝の家臣の所藤内という侍が、燃え盛る大阪城の仏間で炎の中に立つ人影をみました。持っていた刀で切りつけたところ、人でなくそれは阿弥陀如来像でありました。所藤内は、城内からその仏像を運び出し、以降は彦根の自分の屋敷内で大切に祀っていたとのことです。その後、所家よりこの像が寄進され、以後、宗安寺の本尊となりました。
宗安寺の始まりは1338年、足利尊氏・直義兄弟が室町幕府の全国平定を願い、各国から一寺を選んで「安国寺」の称号を与えたことに由来してます。。その後、井伊直政によって、現在の地(彦根市)に移され「宗安寺」と名が改めてます。
淀殿は織田信長の妹・お市の方と浅井長政の長女(本名 茶々)として近江の国に生まれ、信長に父長政が討たれると、柴田勝家の下に移るが、柴田家も滅亡。その後、豊臣の側室となり、豊臣家の嫡男・秀頼を生むが、大阪夏の陣で自害する。
時代に翻弄された女性です。生きていくことが、織田信長への意地だったのかもしれません。柴田も豊臣も織田信長の元部下です。次回は石田光成です。
淀殿と同じ愛した仏像は「宗安寺」に安置されてます。不思議なめぐり合わせです。
顕空。 南無阿弥陀仏 礼賛 合唱。
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