全国の皆様 こんにちは!!
嵐の1日でした。すごいですね。風雨で歩けないぐらいでした。やはり昨年から、天変地異が少しづつ、起こってるのでしょうか。
不安です。今朝の午前2時ぐらいにカラスがよくないてましたので、多分、気圧の変化を感じて、餌を探して食べてたのでしょう。
私は、午前5時に軽く食事したのがよくなく、本日は何も食べれないです。夜中は食べないほうがいいですね。
胃薬を多少飲んでも治りません。御腹が減らないのも不気味です。
江戸幕府を開き、260年の太平の世を築いた人「徳川家康」は2つの仏像を身から離さずおいていたそうです。一つは白本尊、もう一つは黒本尊です。
この黒本尊は清和源氏の守り本尊でもあります、黒本尊は、増上寺安国殿の徳川家の家紋が施された金箔の厨子の中に安置されてます。現在は秘伝であり年3回開帳されます)日頃は前立本尊が私たちを迎えてくれます。寺伝によると黒本尊を彫った人物は、平安中期に活躍した恵心僧都源信で、この像は当初、清和天皇の流れをくむ、「清和源氏」の守り本尊であったと伝えられてます。時がたち、戦国の世。織田信長によって人質から開放された家康は、三河に戻り政事を行いましたが、一向一揆に来るしんでました。そんなおり、領内の明眼寺で、黒本尊を前に一昼夜、争いを治める祈願を行ったところ、血を流すことなく一揆が治まりました。そこで、家康は住職に懇願。黒本尊をお城に迎えて守護念持仏とし、出陣の折にも身近に安置していました。
ここで大切なのが、後の関が原の合戦ですが、家康が、勝利しましたが、なぜ西軍が動かなく、裏切りもあったかといえば、この黒本尊が示すとうり、清和源氏の流れをくむ、武家の棟梁の朱印状を家康は授かってました。他の武家は、棟梁に刃は向けられず、逆賊となります。それほど、武家の棟梁(清和源氏)は大変なものでした。次回は、淀殿です。仏像はパワースポットであり、手を合わせましょう。
顕空。 南無阿弥陀仏 礼賛 合唱。
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