全国の皆さん こんにちは!!
東京から帰還しました。どうも寒波を追いかけてるようで、寒いばかりで、手が痛いぐらいでした。
東日本激震災の地域では、大雪で更なる苦境で、やるせないです。
春が来て、桜が咲く時まであと2ヶ月あまりですが、日々が戦いだと思います。
寒さと、雪に負けないで下さい。体は一度冷えるとなかなか定温には戻りませんので、暖かくして、重ね着をしてください。
手足から冷え始めますので、靴下は2枚履くといいです。重ね着も、やり方があり、ウインドジャケットか、カッパでもいいので内側に着るといいです。外に着るのでなく3枚目ぐらいにきると、保温してくれます。
さて今回は、日本の夜明け、価値観の大転換、を成し遂げた、思想の柱となった、松下村塾&松陰神社です。
山口は萩市にあります。日本海側に面してます。当時は長州藩で田舎の藩です。此処から、武家政治600年の統治から、
改革を起こして、日本を変えた、思想があったのか不思議です。あまたある人材もいたのでしょう。
松陰神社内にある松下村塾で、木造平屋建で50㎡の(2LDK)広さ、狭さ、です。江戸末期の思想家、吉田松陰がこの小屋のような建物で塾を開き教えたのはわずかに、1年あまりです。当時ではありえない、身分や階級にとらわれず門下生を受け入れて、輩出した人材は大物ばかりです。高杉晋作(吉田松陰の身分位関係ない教えは、後の騎兵隊の元になってます)、久坂、伊藤、山縣、品川、、、、、、。坂本龍馬は1862年に土佐勤皇党・武市半平太の手紙を久坂げんすいに渡すために、萩を訪れ、松下村塾を見て衝撃を受けてます。ズバリ松陰の口癖は「日本を変革するのは草の根に隠れてる自分たちで、そのためなら土佐藩、長州藩は滅んでもかまわない」と言う捨て身の覚悟で、草莽の志士です。時代より先行した考えに、龍馬は驚愕して2ヵ月半後、脱藩です。松陰は安政の大獄で30歳で処刑されてます。残念です。明治維新の始まりは、この小屋からです。
龍馬と慎太郎のお墓に行った時、松陰の松下村塾に行った時、なぜか涙が出そうになりました。感動と共に、今の日本のこの不安いっぱいの中で、魂が震えたのだと思います。まだ、日本は何とかなるし、もう一度、この日本の閉塞感を変えられると、草葉の陰で、龍馬、松陰が叫んでるいる気がしたのだと思います。日本は1000兆円の借金と機能不全で国難を迎えてます。
国債は日銀の代理店である金融機関が買ってますが、いつか買えないときが来ます。破綻です。民はこの20年で貧乏になりました。これからは、国のリストラだと思います。
顕空。 合掌。
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