全国の皆様 こんにちは!!
ブログのUPが遅れて申し訳ありません。
本日からシリーズでUPします。近いうちに、フェースブックと連動させます。
さすがに日本社会です。12月には要ると忘年会(望年会)です。
連夜の飲み会で、疲れます。政治、経済、円高、EUの財政、、、、、。全部忘れてしまいます。
又、自家用車のウインカーレバーを交換したら、エンジンから総てよくなり、コンピュターの制御がいきいきして、
抜群に調子よくなり、なんとなくブレーキも良く効きます。不思議です。欧州車はエアコンにしても、少しいじり、部品を交換するとよくなります。日本車みたいにメンテナンスフリー10年は別格ですが、本当はブレーキ、サス、プラグとかおかしくなってますが、日本車はそれを感じさせないだけです。動くものは点検は大切です。
TPPと公務員宿者が納まると、今度は普天間問題です。昔の先生、親、官僚、は倫理館があり、道徳、国家観がありましたが、最近は乱れてると思うのは私だけでしょうか?以前は威厳というものがありました。日本もアジアのリーダーになるには、外交も含めて威厳が大切で、坂の上の雲の秋山兄弟に賛美を送るのは、威厳と道徳と高い倫理観があるからだとおもいます。侍と武士は「義」で生きてました。赤穂浪士がいまだに人気があるのは、「義」に生きたからでしょう。
さて、本題です。
仏像の基本的考え方から入ります。
仏教は総ての始まりはお釈迦様から始まりました。
ですから、仏像の基本は「釈迦如来像」です。仏像は仏教を開いたお釈迦様を崇拝する人々の手により生まれたものです。
元来はお釈迦様は、偶像崇拝を禁止してましたが、やはり、お釈迦様のお姿が無ければ、信仰は永続的に続かないと判断して、仏像を自然発生的に生みました。今でこそお寺に行くと、様々な種類の仏像を見ることが出来ます。しかし仏像は一つしかありません。それは、仏教の開祖、お釈迦様の姿を像にした「釈迦如来」と言う仏像しかありませんでした。お釈迦様は紀元前5世紀頃インドで生まれて、覚りをひらき、仏教を広めた実在の人物で、後世の人々、が今は亡きそのお姿を崇めたいと像をつくりました。それは釈迦入滅後、500年たち、紀元一世紀になってからです。なぜ500年間作られなかったかと言うと、一つは偶像崇拝の禁止と功績が余りにも偉大すぎて、像になどできなかったからです。そこで当時は、お釈迦様の足をかたちどった「仏足石」や誕生のシンボル「蓮のはな
]などを人々は崇めてました。
「釈迦如来像」が仏像の基本でそれをまず見てみてください。それは法隆寺の釈迦三尊です。飛鳥時代にまで遡ります。
次回は釈迦如来像の形がたくさんあるか、、、。UPします。さらに仏像の4つの段階(ステージ)と階級をUPします。
顕空。 南無大師遍照金剛 合掌。
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