皆さん こんにちは!!
東京から帰省後、元気がなくなり、ボ〜然としておりました。
天候不順と蒸し暑さで少しバテ気味でしたが、震災にあわれ、今も体育館で退避されてる方を思うと、カツを入れました。
東京は暗く(節電)、人も少なく、30%の人がマスクをしており、咳をする人が多くいました。節電で何処もエアコンは28度設定です。新幹線も生暖かく、生汗が出ます。以前は寒いくらい何処もエアコンでした。自然の摂理の反対をしてましたから、自然の営みに馴れるまで苦労します。
本日は道元について語り、少しでも皆様方の人生、生活、仕事に、参考になればと考えてます。
空海、最澄、法然、親鸞と平安、鎌倉仏教で異彩を放つのが、道元と思います。
道元=禅=永平寺=絶対自力本願と思いがつながります。
禅は当時の武士の精神的支柱となり、その後、日本人の文科と深くつながります。剣禅一如、華道一如とか、精神文化に深く入りました。仏教の仏にすがる前に、まず自己を見つめ、己で道を開くという、自己本位の自力本願へと人々をいざないます。
道元は京の公家の家に生まれてます。育ちはエリートです。比叡山(仏教の母山)にて出家し、園城寺で天台教学を学び、京都の建仁寺(ブログに載せてます、豊臣秀吉の茶室もあり、地味で、ワビ、サビがあるお寺で、屏風の画が有名です)で禅に出会いますが、当時はご本人は自力で修行をしていたらしいのです。20歳前に日本仏教の限界を感じたのか(法然、親鸞と似ています)
日本の仏教のお寺廻りを辞めて、貿易船に便乗(ただ乗り)して、唐の次の時代の国、宗にわたります、そこで、正師と出会います。天童景徳禅寺の曹洞宗の僧、如浄正師と出会います。此処からが、道元の禅の修業が本格的に始まります。そしてやがて、悟りをえます。「身心脱落し来る」と申して、正師に報告して、認証されて1227年に帰国してます。
今なら、20歳前に単独アメリカに行き、ハーバード大学で、教授から、博士号を貰ったようなものです。ウルトラ行動派だったんです。さて此処で、道元の真髄を述べます。
「仏道を習うことは、自らを習うことであり、自らを忘れることであり、真理によって証されることであり、自ら悟りを開き、又、他者に悟りを開かせることである」自己の探求のため座禅を重視してます。「正法眼蔵」による。
「玉は磨くことで器となる。同様に人も磨くことで立派な人物になる。どんな玉にも初めから光るものなどない。初めから上手く出来るものなど誰もいない。必ず総ての面において自分を磨け。」つまりは日々鍛錬と修行をしなさいとといてます。
「此の一日の命は尊ぶべきものだ。一日をむやみに使ってはならない。此の一日は惜しむべき宝だ。一生百年のうちの一日は、一度失ってしまえば二度と失うことは出来ない」「心のこもった言葉は愛に満ちた心から発せられる。そして、愛心は慈しみの心から生まれる。上の立場から与える慈悲ではなく、愛心を説くことで、自ら弟子と同格であることを示してます」
格言的ですね。道元は帰国後、比叡山と京都の摩擦を避けるため越前の深山幽谷の地で永平寺を開山して、座禅を広めていきます。当時は、反時代的でした。(受け入れられないでいました)
道元は揺るぎませんでした。大乗仏教の言うとおり、人間には豊かな仏性が備わっている、しかしそれは日々精進しないと顕れない。悟りをえてこそその人の身に輝き出るものである。悟りはおとずれないならそれでいいというものではない。悟りの先には又新たな修行があり、悟りも無限と言うことだ!!
座禅は今風に言えば、自分の前に鏡を置くことだといいます。自分の内面に内在する動機を探ることであると、、、、。
武道、華道、茶道、その他たくさん道がありますが、根本は自分次第だということだと思います。
武道と深くつながったのは、自己との探求、技の探求、悟は与えられず、自らつかみ、又自己満足せず次に向かえといってるようです。座禅ならお経を知らなくても、仏教を知らなくても、胡坐をかいて、黙想して呼吸を整えて、自分の心と言う宇宙に入ることが出来ます。心も精神も無限です。それを体感できるのが座禅でヨーロッパ、アメリカの方々好きなのも座禅です。元々はヨガの瞑想から中国で仏教がミキシングして、道元が日本に広めてます。
自力本願=他力本願です。
顕空。自力の精進によって人生を切り開く骨太な道元でした。 永平寺に行き、座禅をしてみるのもいいかもしれません。合掌
コメント