皆様 こんにちは!!
小春めいてきました、温かいのはいいですね。犬も猫も日向ぼっこしてます。幸せ満載の顔してます。
東京マル秘スポットはTBSです。都心の中で、赤坂に位置して、神社仏閣に守られてます。
人が沢山集まります、ある意味パワースポットだからかもしれません。江戸城の中に位置してましたから徳川と深い縁があるのでしょう
だから水戸黄門の番組を流してるのだと思います。面白いですね。
以前申しましたが、人が集まるところは、引き寄せられてるのです。但し。運の有る人、ない人、元気の有る人、ない人、、、、。
TV局は視聴率でしょうか、UP,DAUNの連続で、ストレス100%ですね。
さて、ようやくPCが80%ぐらい復旧しました。1台が壊れて、もう1台がご機嫌が悪くておかしくなってましたが、友人の助けで何とか
ブログが再開できるようになりました。次回からは京都シリーズ第4となります。京都をUPします。お楽しみに。寺田屋にも行きました。
今回から原始仏教のお経の諺をさわりだけ入れます。含蓄がありますので、自問自答してみてください。自分と向き合うことは
自己の心との対話です。
スッタ二パータ(経集)の言葉。
言葉によっても、心によっても、そして行為によっても不合理なことをせず、正しく法を知って涅槃の境地を求める者こそが、この世界を正しく修行遍歴するのである。
自分を苦しめず、他者を傷つけることもない、そんな言葉だけを語れ。それこそが「正しく語られた言葉」と言うものである。
人の生まれを問う無かれ。行いを問え。火はどんな薪からでも生じる。賎しい家柄の者でも、心堅古固で恥を知る聖人となれば、それは高貴な人である。(インドは身分制がいまだに残ってます。カースト制度です)
他の人達が「安楽だ」というものを、聖者たちは「苦しみである」と言う。他の人達が「苦しみだ」と言うものを、聖者たちは「安楽である」と言う。法は知りがたいものであるとみよ。無知なる者たちは、ここで迷うのである。今のこの状態から別の状態へと繰り返し繰り返し、生死の輪廻に入ってしまう人達の道は、無明(自分勝手で不合理なものの見方)を原因としている。人々は「自分のもだ」と執着したもののせいで苦しむ。
なぜなら,自分の所有物は常住ではないからである。所有が無いこと、執着してとらないこと、これこそが他ならぬ洲(川のなかに浮かぶ三角州
で溺れた者がすがりつくよりどころ)であり、それをわたしは涅槃と呼ぶ。それは老いと死の消滅である(輪廻の洪水で溺れる者は、涅槃というよりどころをたよりにせよ。)
顕空。合掌。