全国の皆さん こんにちは!!
安部晋三氏が第25代自民党総裁になりました。これから政治が熱くなりますね。
日本の針路が決まるような気がします。リ・トライです。日本再生です。
しかし、目がよく見えることはいいですね。いいドクターと看護婦さんでした。空、月、星、光が鮮やかです。気持ちいいです。
首の痛みも取れました。肩こりもしなくなり、目は神経なんだとよく理解できました。輝いて見えるとはこのことです。
経済もよみがえって欲しいです。バブルの時代の伝説をもう一度死ぬまでに経験したいですし、今の10代~30代の人に経験させてあげたいです。
よみがえれ、日本です。シーマ現象よ再びです。あの時代はアメリカではアメックスのカードよりJCBのカードが通用しました。レンタカーをロスで借りた時は、JCBでした。もう一度、成功体験をしたいです。今は砂漠のようになりました。経済は循環です。そろそろいい波が来てもいいですね。
さて坐禅3部作の2部目です。一般に、禅宗は栄西が日本では開祖とされてます。栄西が宋から臨済宗を伝えたことは事実ですが、宋から帰国後に開いた、京都に建仁寺を開いてますが、天台、真言、禅の3宗兼学の寺院でした。栄西自身も密教僧としてしられてました。「栄西も比叡山・天台宗で密教を学び下山後、高野山にもいかれてます。比叡山から遁世した人物ですが、鎌倉幕府の後援を得て官僧の高い地位に着就き、臨済宗も鎌倉幕府公認の宗派に成っていきました」栄西(1141年〜1215年)京都の金閣寺は北山文化・銀閣寺は東山文化の象徴とされてますが、室町時代の文化を代表するこの両寺は、いずれも臨済宗の寺院です。茶道、華道、あるいは和食といったものも直接的、間接的に禅宗の影響により室町時代に生まれたもので(発展させた)、室町はまさに禅の時代でありました。鎌倉幕府に続いて室町幕府は新仏教の穏健派である臨済宗と律宗(真言律宗)を保護して「禅律方」という役所を設置して日本の統制を図りました。臨済宗は中国の先進文化そのもので僧達は幕府に重用され、幕府の官僧と化していきました。臨済宗は禅問答とも呼ばれる「公安」を重視してます。「公安」は、「無とは何か」「犬にも仏性があるか」など、きわめて難解な問題を突きつけることで、それまで持っていた常識、知識、観念を一掃して、純粋な仏の心に到達させるための手段です。師匠が弟子の能力に応じて「公安」を提示し、弟子は坐禅しながら、それに取り組んで答えを出す。その答えに対して師弟が問答を繰り返して禅境を深めていく。そのため「考案禅」とも言います。臨済宗は臨済禅で天台密教を学んだ栄西は中国は宋で天台山万年寺で臨済禅を学び日本に導入してます。禅は日本天台宗の宗祖最澄が説いた、精神を統一する「止観」であると強調してます。栄西は岡山県の神官の下で生まれ、比叡山で出家し、南宋に渡り、禅を知ります。2度目の入宋で臨済宗黄龍派の禅を修得し、帰国後は九州で布教を始めてます。臨済宗では一休さん、沢庵和尚とユニークな僧を輩出してます。戦国時代になると、禅僧は兵法も学び軍師となってます。武田家、毛利家、徳川家、などの軍師として仕えてます。沢庵和尚は、剣法指南役の柳生宗矩に対して「心に何もとどめないことが敵に勝つ秘訣」と説いてます。
「剣禅一如」と禅風的な心構えを教えてます。臨済宗には総本山はなく、禅寺と法系によって14派による本山が成立し、読経、写経なども取り入れて、現在に至ってます。1215年栄西は建仁寺で入滅。
次回は道元・曹洞宗・永平寺をUPします。
禅を考えると、パワースポットは自分自身の心の中に内包されてることが見て取れます。これを禅では返本還元といいます。
顕空 南無大師遍照金剛 合掌礼拝
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