全国の皆さん こんにちは!!
私は昨日から「夏ばてに」になり、辛い日々です。頭痛、吐き気、体がしんどい。夏ばての特徴です。
山口市に行き、泊まり、体を冷やしすぎました。大学の教授とシンポジュウムの打ち合わせでしたが、内容はよく覚えてないのです。困りました。
我が家のお犬様と、御猫様は、夏ばてから回復して、ほぼ元気です。お犬様も、御猫様も、げろの吐きまくり、食事も0で横たわってました。
一足遅く、飼い主が夏ばてです。夏ばての原因は目から入る紫外線が自律神経を痛めるそうです。海。山、ドライブはオシヤレでなく、サングラスは大切のようです。
政治もしらけムードですし、経済も明るい話もなく、薄商いです。財務省は金がないから、地方交付税は差配しないと、、、。人質です。地方自治体は苦戦しますね。
埋蔵金はどうしたのでしょう。9月は党首選で、政治は停止です。あきれるばかりです。地方経済は自治体で持ってるところが多く、地方経済は苦境です。
お寺も、会社も、すでに年度末に向けて走ってますが、先が見えないですし、5年後には少子化がより具体的に経済に出てきます。
頑張れ日本です。戦後の廃墟からの再建をしたエネルギーがもう一度発揮できることを期待してます。オバマは選択がキーワードにしました。日本はチャレンジ・アゲインでしょうか。
さて、前編に続いて、後編です。法然の人物像に触れなければ絶対他力の専心念仏宗=浄土宗は生まれてこなかったでしょう。法然は絶望との連続でしたが、最後は悟りに近い「念仏を唱えれば、誰でもが、浄土にいける」という無条件の救済論を説き、究極的な楽観論者になってます。法然の悲劇の始まりは武士の父の目前での殺害、母の病死、実家の消滅(帰る所がありません)、僧兵の騒乱、僧侶間との権力闘争に明け暮れて仏を忘れる、本末転等、、社会は、朝廷、貴族、武士の三つ巴の武力紛争、保元、平冶の乱、さらには、地震、飢饉、死体が氾濫する都の惨状で、夢も希望もなく、心は濃い闇に覆われてました。また、法然は自分自身にも絶望してました。「智慧第一の法然房」と評されながら、どれだけ仏典を読み漁り、どれだけ伝統的修行に励んでも、心を覆う、暗い闇ははれてません。そういう状態が10代半ばから30代半ばまでの約20数年は続いてます。菩提を成就するという目的が果たせない、精神的焦りの中で、青年法然は、奥比叡山の谷間に響き渡るような絶望の声を上げたことでしょう。自己否定です。法然は自らが、戒律、禅定、智慧という仏教の根本要素さえ身につけられる器でない、そのような愚かな自分にも出来る修行がないかと、学僧、知識人、高僧、に尋ねて回ってますが、誰も何も教えてくれてません。皆さんは押し黙ったままでした。此処で自己否定してたら終わりでしたが、空海と同じく、実践の道を選びました。学問、知識、から、民衆に入り下山して、説く道を選びました。自己の世迷としての絶望の声を自ら聞き、不屈の精神で、
宗派を立ち上げてます。他者への惜しみない「慈悲」を会得していきました。逆境に生きた法然は、打たれずよく、修行と学問への取り組みにも、素晴らしい精神性を発揮していきます。「絶望の人から、愛情の人に昇華しました」この復活は、法然の強い意志の力を抜きには語れません。「人が救われるかどうかは、当人が念仏の力を信じるかどうかにかかってます。過去の罪など関係なく、阿弥陀仏が罪深い凡人をも許すとといってます、いまさら煩悩があるとかないとかは、どうでもいいのです」といわれてます。「懺悔」をしてそれから新しい道を行け。との言葉に、多くの民衆、武士、貴族も惹かれていきました。次の言葉に、法然の確信があります。「往生などありえないと考えて、ああのこうのと詮索ばかりして、何も確信をもてない人は、往生も出来るはずもありません」さらに「職業でも、自分はこれでやっていくと決めれば、その道一筋でコツコツ努力する人が一流になっていく。才能というよりも、強い意志が、その人の潜在能力を最大限に発揮させる」とも説いてます。もちろん現代では、自分がいくら頑張って見たところで、景気、不景気のように大きな波がやってくるときが在ります。しかし信念のある人はには風雪を耐えていくだけの強さがあります。むしろたいていの人が悲観にくれているときに逆転の発想をして、そこにチャンスを見出したりします。十人中九人が不安を抱き、往生が遂げられないとしても
自分だけは必ず往生すると自己信念を持てといってます。群集心理に巻き込まれて、信念のない道を歩んでると、結局、何の結果も得られない、よく我々の僧侶の世界でも、お経におぼれる、修行におぼれる、という言葉があり、確信を得ずに、精神がさまよう状態のことを言います。法然は生涯が苦難でした。何百年も続いた貴族仏教を全否定したために、弾圧され、1207年には法難に会い弟子4人が処刑、弟子の親鸞は越後に、法然自信は讃岐に流刑ですが法然はひるむことなく、チャレンジしてます。いつの時代でも、既存の制度を克己するような思想は、批難と排その対象となりますが、それを乗り越えています。
知念院は日本最大の山門に釣鐘で、徳川幕府が庇護してます。山門に掛けられた艶やかな幕が記憶に残ります。絶対他力の念仏宗ですが、根源的には法然の精神が行き着いたのは、愚に還る喜びの中で行き着いたシンプルな教えで、自己確信の道のりだったのではないでしょうか。1212年80歳で往生されました。
そして法然の意志は親鸞に引き継がれていきます。絶望の淵から自分を再発見して楽天家になり、実践して、行きたいように生きたのが法然かもしれません。
自己否定からは何も生まれてこない、自己逃避からは創造性は生まれてこない。と法然が生きてたら、このように言ったと思います。
次回は浄土真宗・親鸞をUPします。
顕空 南無大師遍照金剛 合掌礼拝
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