全国の皆さん こんにちは!!
すっかり朝夕は秋めいてきました。
今頃夏ばてが出てきますので、養生してください。
政治は民主、自民、みんな、維新の会と、メリーゴーランドです。
とにかく、経済の浮上と就職、給料等デフレも含めて、解決してもらいたいです。
いい国、日本です。
さて密教の後編ですが、釈迦はどのように考えてたのでしょう?
密教はの元祖はゾロアスター教の焚き火の火を神聖化してました。釈迦が生まれる1000年ぐらい前です。
密教は恐ろしそうな仏に祈りをささげる。((シバ神みたいな)呪術という印象が強く在ります。確かに密教は呪術的な面もありますがきわめて理知的な信仰です。仏教の開祖・釈迦は元来、呪術的なものには否定的でしたが、真言(マントラ・サンスクリット語)・陀羅尼といわれる呪文などは早い時期に仏教に取り入れてました。5世紀ごろになると、仏教の教義の根幹にまで呪術的なものがより取り入れられていくようになりました。当時はインドでは農村を中心に勢力を拡大中のヒンズー教に圧倒され、仏教のの存続が危ぶまれてる状況でした。そこで、庶民階級の信者を増やすために、治病、や招福といった現世利益をもたらす秘儀や、ヒンズー教の神より強い仏(シバ神を踏みつける降三世明王や炎の中に住する不動明王など)を説くようになりました。7世紀頃にはそうした呪術的要素と悟りをえるための教えという仏教本来の教義との整合化が進み、緻密な教理体系が構築され「大日経」「金剛頂経」などの経典が編纂されていき、教理の確立に伴い、教主も歴史的人物の釈迦から真理そのものである大日如来へと変更されていきました。(釈迦自体が大日如来の一部であるとの考え) これにより「密教」は地域や時代に限定されない教えとなりました。こうして純粋密教(純密)が成立されました。悟りと現世利益の両立、これが仏教が辿り着いた究極のおしえとなりました。密教は教えがあまりにも深遠であるために容易には理解できないことをさしてます。そこで用いられるのが、色、形、所作、音声(声明)といったさまざまなシンボルです。代表的には、密教の宇宙観とともに悟りにいたる修行の「階梯」、密教の智慧で衆生を救う方法などが表されてます。日本の密教においては胎蔵曼荼羅と金剛曼荼羅が最も重視され堂内の左右に掛けられます。曼荼羅とともに悟りにいたる手段として用いられるのが印と真言と三摩地(三密)です。印は手の組み方(九文字もその一つです)で仏や境地などを表すことで、「アビラウンケン」(胎蔵大日真言)などの真言は言葉自体に霊力がるとされる梵語(サンスクリット語)の聖句、三摩字とは心に仏の境地を浮かべることです。
この3つを完璧に発動させることにより人は仏と一体となり悟りにいたることができます。
こうした三密によって仏と一体となる(即身成仏)という説は、さとりにいたるには長い修行期間が必要と考えられます、これはそれまでの仏教の常識を覆すもので、奈良時代に成立した日本の仏教宗派(南都六宗)はいずれも密教以前の教理に基づいてたために、最澄、空海により密教が日本に伝えられると、大きな驚きをもって迎えられました。まったく新しい理論と概念と思想で、しかも現世利益と悟りも得られるとなると、これは皆さんが当時は盛んに信仰されたでしょう。
さらに平安時代はからは、土着の神道と外来の仏教が習合した「神仏習合」の信仰も広まっていきました、それは神道の世界を密教の教義によって解釈され、神道の聖地は密教の曼荼羅にたとえられ、皇室の祖先神である天照大神を祀る伊勢神宮に出さえ、中世には密教の祈祷所が設けられてました。また奈良仏教の薬師寺には「密教部」という部署があり、一年に一度護摩を焚いて密教の祈祷をしてました。密教の国はチベットでチベット仏教といわれてます。
修行があるのかは、たとえば、山岳修行ですが、登山中は自分の息遣いだけで、脳、心は無心です。この無心こそ、煩悩にとらわれてない状態で、仏と一体となってます。納経も同じで、雑念が入ると読めません、無心になるためです。何ものにもとらわれない「心」の状態を作るのが、密教の行なのかもしれません。
自我からの開放です。
いかがだったでしょうか。仏教が密教というものを取り入れて融合させてます。さらに日本の古代からの神道も融合です。
顕空 南無大師遍照金剛 合掌礼賛
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