全国の皆さん こんにちは!!
梅雨の戻りも終わり、後は夏本番です。
青い空と白い雲と夕焼けですね。ですが、自然界は確実に秋に向かってます。
虫が鳴き始め、せみも大合唱です。子孫をこれから残すためにも大声で鳴きます。夜明けが30分遅く明るくなるようになってます。
自然の営みは日々です。
経済も政治もお盆前まで、静かにゆっくり水面下で動いてます。
さて瑠璃光寺の終わりですが、なるほどワールドです。鶯張りの石畳の右横に「刺撰銅碑」があります。これは明治天皇が毛利敬親の偉勲を
永久に顕彰するための記念碑です。この記念碑は13代〜15代の毛利家の墓があり横には忠魂碑と井上馨の分霊墓があります。
陸軍大将大勲位功2級、長防国主贈従一位が明治天皇から送られてます。
明治は600年続いた武家政治と社会の庶民の仕組みを変えた日本版文化大革命です。
すべての制度の近代化でした。殿様の変わりに、県知事がなり、徴兵制、通貨の統一、着物から服、髪型も近代になり、武士の魂の廃刀令、
苗字の普及、戸籍の変遷、通信機能の変化(モールス信号)。軍隊の新組織。憲法の制定、国民議会の始まり、、、。
その中でも、廃仏毀釈と神道合祀はも大転換でした。新しく国を統治するには一神教の神道の神社と天皇制の確立が下地として必要でした。
明治維新前の神社仏閣は今とは違います。鳥居がコンクリートは明治から昭和に掛けて作られてます。仏教は残念ながら多種多様で統一するには難しく
神道と分離させられました。江戸時代には、お寺の境内に神社がありましたし、東大寺の中に八幡神社がありました。八幡神社の祭神は空海が描いてます。
これらも分離されてます。今はどこも神社ですが当時は大権現という表示です。廃仏毀釈に抗議したのが西郷公で、頭を坊主でひげも無く、犬の銅像ですから
これは僧侶です。当時は皆さん明治にはひげを生やし、髪は長かったです。時々、廃仏毀釈前のお寺も残って居り、お寺の境内に、お稲荷さん、神社が残ってます。
明治9年にさすがにまずいと思ったのか、秘仏希釈はなくなりましたが、今度は明治36年に神社合祀で受難で現在は当時の10%ぐらいの数となりましたが、これも明治38年に中止です。熊野三山もこのとき滅亡の危機でしたが、南方熊楠が身を挺して反対です。那智神社は今でもお寺と共存で五重塔が立ってます。
現在の形になってまだ150年です。時として、神社仏閣は日本統治のために、政治利用されて来てます。歴史は面白いです。
天皇が2600年の歴史ですが、その前に住んでた原日本人がいたことは事実です。彼らは自然信仰として神道的なことをしてたようです。
現在日本の統治は近代国家として、民主主義となり、神仏から、法律により築かれてます。この法律は国民から選ばれた国会議員が立法府として内閣は行政府の最高として、3権分立として歩んでますが、日本人としての遺伝子は、天皇、神社仏閣、自然崇拝として残ってます。
ちなみに東大寺は平家により火をつけられて、消失してますが、源氏が再興してます。そのときに、八幡神社がお寺からはなられた時です。
世界に中で、これほど宗教を具現化して、争うことなく、うまく使い分けた民族はいないです。それだけの幅があり、融合出ていたのは、凄いことです。
顕空 南無大師遍照金剛 合掌礼賛。
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