全国の皆さん こんにちは!!
1日はメーデーですね。私もサラリーマン時代には参加させられてました。懐かしいです。
時代は変わり、今は自治労が一番で、我々の時代は鉄鋼労連でした。ベア、ボーナスも横並びでしたね。
今の若い世代はある意味時代の被害者かもしれません。我々のときは、末は博士か社長でいつかはクラウンでした。
現在は末は博士かフリーター、いつかは電動自転車です。非難や否定は簡単ですがそこからは何も生まれません。
若い世代を草食系にして夢と希望のない社会にしたのは我々の責任ですが、大工や職人は厳しいですが、就いてきてます。
ボランティアも若い人は多く、きちんと見れば我々の時代より、社会参加はしてます。これだけ就職難で夢がもてにくい社会では
草食系にならずを得なく、ラテン系の肉食系は経済成長時に生まれるのでしょう。人間は環境で変化します。
うまく理解して、そこからですね。
今回は、奥の院の手前の風景です。奥の院は撮影禁止でここまでです。
嵯峨天皇から空海は高野山を下賜されてます。平安時代の三大書家で空海は書で当時の天皇嵯峨天皇と親交を交わしてます。
幼少から少し変わり者で、生死を経験するといって、海に飛び込んだりしてます。774年香川県善通寺にて生まれ、父方は佐伯姓、母方は阿刀姓で、最近では畿内説も有力で、幼少より学問を修め18歳で大学に入り、虚空蔵聞持を授けられ、阿波の国、土佐の室戸岬で百万遍を唱えて成就してます。そのとき明星が口に入り神秘的な体験をしてます。室戸岬で見た空と海を見て、空海と名乗ることを決めてます。後に大日経を見つけて、最澄とともに唐にわたり、空海は約3年逗留して、
青龍寺の恵果に出会い、密教を治めて帰りました。そして大日経も理解をして帰国してます。そのとき理趣経も持ち帰ってます。
空海は唐で宇宙を学び、密教を習得した第一人者となりました。空海も修行をしており、自分自身の根底とは何かという哲学的な問いに対して、求聞持法を成就した瞬間のその答えをつかんでます。それは釈迦の教えだったのです。「たどるべき道を知らず、あまたの道に迷い幾たびと涙した。わが心に大日如来に通じ、真言の深妙な教えにせっすることができた。」性霊集より。お経は漢字で元は梵語です。空海は両方と当時の中国語もすぐにマスターしてます。お経は梵語の音訳なんです。音はわかっても意味(真言)はわかりません。それで和訳が生まれてます。
面白いですね。
次回は根本道場&寝所をUPします。
顕空。 南無大師遍照金剛 御宝号 礼賛 合掌。
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