全国の皆さん こんにちは!!
もう初夏を感じます。気持ちがいいです。
東日本大震災のかたがたも、雪下ろしがなくなり、空も青くて、いかがでしょうか。
桜も満開のようですが、、、。心の痛手からはなかなか開放はされませんが、健康で、元気でいてください。
生かされてる人間のお勤めかもしれません。私は本日は海自の練習艦の寄航で歓迎式典に出ました。
瀬戸内海の呉基地ですので、楽団は瀬戸の花嫁でした。大型艦船ですが2隻のタグボードが10cm感覚でバースによこ付けする
技は凄いですし、規律よく動くのは気持ちいいです。皆さん新兵ですが幹部候補生ですので、制服がきまってました。
ほとんどの艦船や潜水艦も訓練で出てました。靴もYシャツ、制服、帽子、ズボンも折り目が入り、靴もぴかぴかでした。
今度UPします。
さて高野山ですが、平安中期からお墓ができてきたようです。苔むすお墓は立派ですし、戦国武将のお墓の前では、歴史と草原を駆ける
騎馬とか、いろいろと創造できます。この世では敵同士でもあの世では仲良くですね。昔は骨や遺品、髪、等、分散してお寺に納めてました。
散骨に近いです。ゆかりの地に納められてます。高野山に武将、親鸞、法然、その他の多くの僧侶のお墓、近代の財界、そして公家、天皇の廟が多くあるかは、
お大師さまのそばにいたいという思いで、空海の霊廟の周囲にどんどんお墓が立っていきました。敵対していた武将たちも、お大師さまの前では平等ということで、仲良く並んでます。生きてるときは常に108つの煩悩にさいまされてましたが、死ねば、煩悩さえ消えます。中世に高野聖が全国を行脚し、弘法大師信仰を広めた結果
奥の院は大師信仰の中心となりました。「高野山の信仰は、真言密教と弘法大師信仰の2つがあります。それは表裏一体でもあります。密教の中心である壇上伽藍と奥の院の両方見ないと高野山の実像はつかめません」お墓のタイプもさまざまで、五輪の塔から和式3段、マーク、、、、。受け入れてます。
江崎グリコのお墓のマークは、Yの字のマラソンの選手でグリコのまんまです。
お墓のテーマパークです。憑き物もありません。お大師様が抑えてますので、行って見てください。
私は、仕事で3日間ほど、出張でお休みします。28日から高野山のUPをします。しばらく辛抱の程。
顕空。 光明真言 南無大師遍照金剛 礼賛 合掌。
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