全国の皆様 こんにちは!!
政治が爆弾嵐のごとく、乱れてます。国民不在の権力闘争。残念です。
原発の処理、復興、多分また円高、株安、就職難、財政赤字、年金、少子化、、、、。
少し考えるだけでもたくさんあります。北朝鮮の弾道ミサイルもあります。
いつの間にか、日本が劣化しておりますが、再建をしたいです。人口減少での経済復活の方策を考えないと
日本の未来が今こそ問われてると思います。がんばろう日本です。
豊臣政権を支えた知将であり、関が原では徳川家康と相対した武将。今で言う、豊臣政権の官房長官です。
佐和山山麓(彦根市)にあった瑞岳寺より運び出されたものと伝えられます。厨子の中で金色に輝く小さな仏様は、すべて化仏と呼ばれ、阿弥陀如来がさまざまな形に変化したものです。大勢の阿弥陀さまです。
金色に輝く小さな仏様が、厨子の中に数百以上も並べられたもので、「千体仏」と呼ばれた。この小さな仏様は、すべて阿弥陀仏であり、仏像の光背の中に描かれていたり、観音菩薩の頭上に置かれていたり、いわゆる「化仏」と呼ばれる仏様です。石田三成ゆかりの仏像だということが、公にされたのは、明治にはいってからです。今では、多くの人が石田三成の人柄を慕って、宗安寺に千体仏を参拝に来ます。戦国の時代は敵方の首を取ることで、自分の家が生きながえる時代でもありました。ゆえに、首を取った相手方の武将の位牌を作り、末永くお守りする。彦根では4百年以上たった今でも、正月には黒豆ご飯を作り、敵方だった武将の位牌を拝むという風習が残されてます。1560年に近江国の石田村(滋賀県)に生まれる。1574年ごろ地元のお寺で修行中、そこに立ち寄った豊臣秀吉に見いだされてます。
俗に言う、三成の3度のお茶で、秀吉の心をつかみました。気配りがよくできる、つまり人間の心理が読めると判断されました。その後、秀吉政権の下で、五奉行となり、佐和山城主とな。1600年、関が原の合戦で破れ、処刑されてました。
家康は武将で政治家で武家の棟梁で、三成は武将でも行政官で豊臣恩顧で戦をしましたが、戦後の日本にあり方を考えてた家康には、戦術では勝ててましたが、
大きな戦略の前では義理人情では大群が動かず、義理と人情で戦った武将は残念なことに敗戦でしたが、儀、仁、情、友情、とかを考えさせられます。
天下統一はある意味非情にならないとできないのかもしれません。次回は伊達政宗です。
石田三成は40歳でなくなってます。織田信長が49歳です。密度の濃い人生だったですね。
顕空 南無阿弥陀仏 礼賛 合掌。
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