全国の皆さん こんにちは!!
申し訳ありません。4日間ほどダウンしてました。
災いは重なります。3月29日にスキー場のバンガローで10人ぐらいで夜、闇なべをしましたが
どうも、ここのスキー場の山に潜む、魔に当たって、体調を崩しました。また、PCをカスタムメイドからメーカーNECに変えた際に
何とデーターがすべて飛んでしまい、復旧に2日間かかりました。ハイスペックのものに切り替えましたが、ずいぶんと、使い方が違いなれるまで大変です。
4月1日は護摩法要で、無事終わりました。加持祈祷してもらい、元に戻りました。山はいろいろな魔が潜んでおり、僧侶は水晶の数珠を持ってあがります。
法力のある方は、いいのですが、、、、。油断してました。山は御神体ですが、いろいろな生き物が死に生きて、生まれて、輪廻の世界です。
山は遭難と事故も多く、油断大敵です。
戦国の乱世に終止符を打ち、日本を天下の世に導いた武将「徳川家康」。かつて徳川家康が厚く信仰し、浜松から江戸へ、江戸から駿府へと移り住む間も
場内に安置し、戦に出陣する折は馬にくくりつけて身近に置いていたと言われている白本尊。一見すると、白くは見えませんが、白本尊と呼ばれる由来は、金箔のしたに白い糊粉が使われていたと伝えられてます。。寺伝によると、鎌倉時代の名仏師・快慶の作と伝えられ、また家康の守り本尊であったことを象徴するエピソードが今に伝わってます。ある戦の出来事で、陣中、家康に向かって飛んできた1本の矢がともに出陣した白本尊の耳の後ろに当たったというのです。家康の身代わりになったと、、、、。その後、2度の大火で台座と光背は焼失するも、尊像は焼けずに現在に至ってます。
三河の国の土豪であった松平広忠の嫡男として生まれ、徳川家の祖として1603年に征夷大将軍となり、江戸幕府を開き、1605年将軍職を秀忠に譲り、1607年に駿府城に(静岡)に移り、江戸幕府の礎を築いてます。ちなみに誕生日は1543年12月26日です。
終生、阿弥陀如来を信仰して、念仏日課として唱えてたといわれてます。
顕空。 南無阿弥陀仏 礼賛 合唱。
次回は、同じく家康愛した仏像で「黒本尊」です。
コメント