全国の皆さん こんにちは!!
桜の開花宣言が出ました。いつの間にか春です。そういえば、競馬は桜花賞です。
我が家の庭の桜もよく見ると3部咲きです。桜の木はなかなか根付かないといいますが、5年前に父が苗木を持ってきて
植えて、何もしてませんが、毎年咲きます。25年目の木もありこれは屋根を越してます。よくわからない木なのですが、鳥の止まり木になってます。
桜といえば花見ですね。世界の中で、花見をする習慣があり、飲む、食べる、踊る、、、。日本ならではの風情ですね。平安時代は梅の花でした。
どことなく気持ちいいです。6日は入学式が多く、真新しい制服がいいですね。東京の時間は、走ってる、京都の時間はゆっくりと過ぎていく、奈良の時間は止まってるといわれますが、桜の下でしばし、時間をとめて見られてはどうでしょう、、、、。
名門伊達家を18歳で継ぎ、群雄割拠の奥州を統一稀代の名将「伊達政宗」。今からおよそ1200年前の828年、比叡山の第3代座主慈覚大師円仁によって
立てられ江戸時代の初頭、伊達政宗によって復興された東北の古刹。瑞巌寺。生き生きした、岩に囲まれている、瑞しいお寺という意味です。
日本三景の松島の地に建つ、東北の名刹・瑞巌寺のご本尊は、ブロンズでできた珍しい聖観音菩薩で身の丈100cmの立派な仏像です。伝承では「弘法大師空海の作」といわれてますが、瑞巌寺と仏像専門家による調査により今では室町時代後期のものと推測されています。。高い宝髪は鎌倉時代の仏像に多く見られる特徴で、衣の表現は奈良時代に見られる特徴でもあります。また、全体のバランスや特徴から推察し、鎌倉時代の仏像をモデルに、室町時代に作られたのが現在の見方です。一番の特徴が青銅製であること、木造が主流の時代にあって、ブロンズでできた仏像は大変珍しいといえます。製法にも特徴ががあり、木造の仏像のように、腕や脚が取り外せます。伊達政宗は5歳のころより禅宗を学び、精神的、肉体的にも鍛えられる。1590年豊臣秀吉の小田原攻めに参陣。秀吉の命で朝鮮にも出兵、1601年、仙台城の築城をはじめ、初代仙台藩主となる。
仙台は千代も続くように名づけてます。繁栄が1000年続きますようにです。伊達政宗は歌舞伎者でおしゃれで、伊達男はここから来てます。
人生の危機においては、その度肝を抜く、服装で、切り抜けてます。将軍に3代使え、個人では3畳の間で書、詠み、をしてます。
幼少のころの病で隻眼となり、独眼流正宗と呼ばれてました。
次回は、仏師(仏を作る人)の3大名人を紹介します。
織田信長はおそらく信仰とかあまりなく、自力で生きてきたのだと思います。「人生五十年、下天の間をくらうれば、夢幻のごとくなり」でした。
本人には、現世は所詮、幻で過ぎない時間だったのでしょう。本人はだから神になろうとしたのだと思います。明智光秀は朝廷の側で、国家元主が2人いては
国が治まらないとの判断で、暗殺したのでしょう。織田信長教の宗家になろうとしたのかもしれません。
明日から3日間仕事で東京です。お休みです。
顕空。 南無大師遍照金剛 礼賛 合掌。
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