皆様、こんにちわ!!本日も元気で参りましょう。
本日は「死」について述べたいと思います。(スランプの始まり)
任務の同僚が体調悪く、山口市の湯田温泉でのんびりしたいので、会社の寮にしている1棟のアパート10室あり、空き部屋があれば1か月ほど貸してほしい要望があり、お貸ししました。ところが温泉に行き始めて20日椙に、部屋で倒れて夜11時に119番でで、病院に運びましたら、小脳群発血栓でした。会話もできて、たまたま私と塾頭がいて、付き添いましたが、
最後は握手して、会話もできましたが、翌日、意識不明となり、約1年ほど
寝たきりとなりましたが、目が明いたままでしたが、目が綺麗になり、まるで最後の時は、美しい澄んだ目に代わってました。これが4年前です。1年かけて死の準備と精神的受け入れができて、特には私の精神は冷静でした。人は絶対に死は迎えます。そして3月3日に亡くなりました。奥様と小学生の子供さんがかわいそうでした。早すぎる「死」でした。ただ覚悟がありましたので、淡々として涙のない、葬式でした。今まで色々な死を見てきましたが、動揺もなく、有志で葬式を行いました。その1年後、同僚で任務チームだった同僚が前日は東京の新橋のライオン亭で食べて、飲んで、騒いで、議論して、別れました。ですが少し違和感はありました。翌日の午後8時に合流して隣にいたのですが、突然気配が消えて、視界から消えてしまい、即死でした。私は茫然自失で、何が起こったかもわからず、その人の体を見てました。さすがに精神的なショックがあり、ここから精神的スランプが始まりました。子供さんは中学生と高校生の2人でした。有志でみんなでお金を積み、大学まで行ってもらいました。今年、父の跡を継いで、警官になりました。「死」は準備期間ある場合は意外と淡々としてますが、「突然の死」はいきなりで、喪失感、思い出、さっきまで話してたのが、「死」ですから、これには心の準備もなく、悲しみだけとなりました。スランプで、魂が彷徨うようで、つらかったです。またそのころは仕事、お寺、会社も多忙で、てんてこ舞いの時でした。不思議と、その時に、1番高野山にも上がり、乗鞍、伊吹山、富士山、サーフィン、マニラのボラ海、アメリカ、バリ島、とか行ってます。この3年間が半年の時間のようでした。生きる希望、ヤル気、
すべてが否定的で、お寺も面倒で、大変なストレスと悩みでした。不登校、出社不能、うつ、マイナスのことは経験というより、なっていきました。随分とと今思うと、仲間に助けられてました。FMラジオもやめ、ブログもやめ、
休みはとにかく寝てばかりで、籠ってました。仏教的には人は死ぬと49日に生まれ変わる「転生輪廻」の思想があり、亡くなった方は、生まれ変わってます。わかっていても、悲しみからは逃げれませんでした。次号はなぜたちなをったかを説明します。人間はじつは死に向かって生きてるようなところがあります。命の大切さ、健康のありがたみ、幸せの基本です。
きっかけがあれば、精神と心の立ち直りは可能です。
本日は「死」について述べたいと思います。(スランプの始まり)
任務の同僚が体調悪く、山口市の湯田温泉でのんびりしたいので、会社の寮にしている1棟のアパート10室あり、空き部屋があれば1か月ほど貸してほしい要望があり、お貸ししました。ところが温泉に行き始めて20日椙に、部屋で倒れて夜11時に119番でで、病院に運びましたら、小脳群発血栓でした。会話もできて、たまたま私と塾頭がいて、付き添いましたが、
最後は握手して、会話もできましたが、翌日、意識不明となり、約1年ほど
寝たきりとなりましたが、目が明いたままでしたが、目が綺麗になり、まるで最後の時は、美しい澄んだ目に代わってました。これが4年前です。1年かけて死の準備と精神的受け入れができて、特には私の精神は冷静でした。人は絶対に死は迎えます。そして3月3日に亡くなりました。奥様と小学生の子供さんがかわいそうでした。早すぎる「死」でした。ただ覚悟がありましたので、淡々として涙のない、葬式でした。今まで色々な死を見てきましたが、動揺もなく、有志で葬式を行いました。その1年後、同僚で任務チームだった同僚が前日は東京の新橋のライオン亭で食べて、飲んで、騒いで、議論して、別れました。ですが少し違和感はありました。翌日の午後8時に合流して隣にいたのですが、突然気配が消えて、視界から消えてしまい、即死でした。私は茫然自失で、何が起こったかもわからず、その人の体を見てました。さすがに精神的なショックがあり、ここから精神的スランプが始まりました。子供さんは中学生と高校生の2人でした。有志でみんなでお金を積み、大学まで行ってもらいました。今年、父の跡を継いで、警官になりました。「死」は準備期間ある場合は意外と淡々としてますが、「突然の死」はいきなりで、喪失感、思い出、さっきまで話してたのが、「死」ですから、これには心の準備もなく、悲しみだけとなりました。スランプで、魂が彷徨うようで、つらかったです。またそのころは仕事、お寺、会社も多忙で、てんてこ舞いの時でした。不思議と、その時に、1番高野山にも上がり、乗鞍、伊吹山、富士山、サーフィン、マニラのボラ海、アメリカ、バリ島、とか行ってます。この3年間が半年の時間のようでした。生きる希望、ヤル気、
すべてが否定的で、お寺も面倒で、大変なストレスと悩みでした。不登校、出社不能、うつ、マイナスのことは経験というより、なっていきました。随分とと今思うと、仲間に助けられてました。FMラジオもやめ、ブログもやめ、
休みはとにかく寝てばかりで、籠ってました。仏教的には人は死ぬと49日に生まれ変わる「転生輪廻」の思想があり、亡くなった方は、生まれ変わってます。わかっていても、悲しみからは逃げれませんでした。次号はなぜたちなをったかを説明します。人間はじつは死に向かって生きてるようなところがあります。命の大切さ、健康のありがたみ、幸せの基本です。
きっかけがあれば、精神と心の立ち直りは可能です。
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