全国の皆さん こんにちは!!
夏ばてが100%回復しないで、寝床でごろごろしてました。
TVもラジオも新聞も、明るくない話が多く、日本が政治・経済・社会・が少しずつ地盤沈下してる気がします。
厳しい時代です。8日にレイトショーで、プロメテウスをみてきましたが、人類創世と神でしたが、エイリアン・ビギニンズでした。
映画は面白かったです。しかし、宇宙の誕生、神の誕生、人類の誕生、、、、。不思議な世界です。遺伝子が100%解明できたら、人類が何から進化したかわかります。人間の尾骨は尻尾の跡ですし、4足歩行から、2足歩行になぜかわったのか、興味がわきます。
さて念仏宗ですが、おさらいです。平安時代の末期には末法思想が蔓延した時代です。仏教では釈迦の入滅後の世を1000年ごとに、正法・像法・末法の3期に分け、末法の時代になると仏の教えも衰えて世が乱れるとされてました。日本では、1052年に末法が到来すると信じられ貴族も民衆も恐怖におののいてました。1192年の鎌倉幕府の成立までが平安時代ですが、時代背景的には、末法思想で、次代の救世主を皆さんが期待したのだと思います。そして、民衆、貴族も含めて、この現世に絶望した人々は、来世にこそ救いを見出そうとしてました。そこで、死後は阿弥陀如来が主催する極楽浄土への往生を熱烈に願う「浄土教思想」が流行ります。「阿弥陀如来への信仰は、日本仏教初期の飛鳥時代からあり、これが平安時代に比叡山において思想にまで深められました」もともとは中国の思想で(桃源郷)でこれを円仁が中国で学んだ浄土教的要素を天台宗に取り入れたのが端緒です。(浄土教研究)そして、多くの僧侶が仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する文章を集めたのが「往生要集」を撰述しました。「極楽往生するには、一心に仏を想い、念仏の行をするしかないと説き、これにより、浄土教の基礎が出来ました。この「往生要集」が果たした役割は決定的でした。地獄・極楽の日本人の死生観の形成に多大な影響を与えており、ただ、阿弥陀信仰を広めただけでなく、平等院。物語、和歌などの文学、「諸行無常」や「ものあわれ」といった美意識、もっと言えば日本人の精神そのものに絶大な影響を与えた書物です」古事記や日本書紀は歴史書で、現代日本の根底に流れる死生観までには入ってきてません。比叡山には「朝題目に夕念仏」で。天台宗では朝の勤行は「南無妙法蓮華経」を唱え、夕の勤行には、南無阿弥陀仏を唱えます。平安貴族の精神の中心は、阿弥陀信仰+法華経信仰でした。浄土教思想が阿弥陀信仰で、法華信仰は釈迦信仰で、法華経では女人でも成仏できると説かれ女性平安貴族の方からは特に信仰されました。平家物語、源氏物語の源泉は浄土思想の賜物です。鎌倉仏教は大きく阿弥陀信仰と釈迦信仰に別れ、法然の浄土宗、跡を継いだ親鸞の浄土真宗、良忍の融通念仏宗、一遍の時宗が阿弥陀信仰の4大宗です。日蓮の日蓮宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗が釈迦信仰となってます。その後、真言宗も律宗と融合させ、鎌倉新仏教と評され、真言律宗を立て、民衆に布教し、全国の衰退した寺院を数多く復活させてます。さて親鸞ですが、具体的には、次回UPします。今でも「歎異抄」は人気が高く現代でも愛読されてる人が多いです。
浄土宗は念仏こそで浄土真宗は信心こそと説いてます。念仏と信心、他力と自力、と鎌倉仏教は、中国の思想を元に、独自に開花していきます。
それにあわせ、文化、物語、建築、芸術、仏像、と豪華賢覧となり、そこに茶道、華道、武士の基本的な考え方が融合していきました。
顕空 南無大師遍照金剛。
12日~15日までは左目の手術とラジオの収録で東京で、お休みします。
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