全国の皆さん こんにちは!!
まだまだ、残暑が厳しいようです。
皆様 健康には気をつけてください。
昨日は某大学で、講演の依頼の打ち合わせでしたが、夏休みで、節電、で扇風機のみでした。
熱風が来る扇風機でありました。医療に特化した専門大学で、リハビリの教授で、過疎で町民と小学生~高校生まで来てもらい、
講演をしてもらいます。
さて13宗の総本山の特徴ですが、その時代に求められる仏教の役割に応じ、立地条件が大きく変化してます。
国家仏教として、国家を鎮護することを祈ると同時に、経典や教義の研究を行う奈良の時代の仏教寺院は、一寺一宗の体制が整えておらず、一つの寺院に複数の宗派が混在してました。東大寺では華厳宗のみならず諸宗を兼学してました。こうした環境で、各宗の僧侶は自分の宗派枠を超えて教えを学びあったようです。
平安時代になると、仏教に対して神秘的な力が期待され、天台宗(台密)や空海の真言宗(東密)といった密教が盛んになりました。
最澄は比叡山に延暦寺を開き、空海は高野山に金剛峯寺を開きました。天台・真言の両密教系の宗派の本山の特徴は、都を離れて、深山幽谷の険しい山林に開かれたことで、特に比叡山は都の東北、つまり鬼門の方角に位置し、鬼門封じという呪術的な性格も付加されていきました。また、823年空海が朝廷より東寺を受け賜り、以来密教の独自の道場とするよう企画したように、一宗一寺の傾向が徐々に整いつつありました。
さらに平安末期から鎌倉時代にかけて成立した、良忍の融通念仏宗、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、栄西の臨済宗、道元の曹洞宗、一遍の時宗、日蓮の日蓮宗などでは、宗祖やその弟子達の思想によってそれぞれ各地の多様な場所に建立されていきました。室町、戦国時代時代を通じてこれらの宗派は日本の文化、芸術に大きな影響を及ぼしながら、日本人の生活と精神に深く浸透していきました。
さて本山制度は江戸幕府時代に整備されました。宗派を統括するのが本山で本山の下には、本寺、中本寺、直末寺、孫末寺と位置づけられて階層化されていきました。本山の指示を尊重して従う制度を「本末」制度と呼ばれてます明治維新後もこの制度は引きづかれてます。また総本山、大本山の違いは、前者は宗派の根本となってる寺院、後者は宗祖縁の寺院であることが多いです。
次回はいよいよ13宗派の此処のUPをします。奈良時代の法相宗(興福寺)です。
顕空 南無大師遍照金剛 合掌礼賛
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