全国の皆さん こんにちは!!
残暑が厳しいですが、朝、夕は秋が来てます。あと少しの辛抱です。
シャープの様子がおかしいです。本日には記者会見するそうですが、、、。ホンハイ(台湾)と株式の交渉がうまく行ってないのでしょうか。
シャープの経営は一本足打法で、液晶に特化しすぎたようです。日本初の電子レンジ、電子電卓、空気清浄機、、、。多くの日本初の製品を作ってます。
日本の家電はなぜ此処まで落ちたのか、研究が必要です。山水は破綻、パイオニアもおかしい、三洋は合併です。
政治も日本を洗濯するぐらいの話もありません。これは大変な時代となりました。政治も経済も縮小均衡な状態です。明るい明日が語られなくなりました。
登山も20代30代の方は少なく、年金受給者や山ガールが多くなりました。特に女性は一人でも来てます。冒険心があります。
若い男子はどこに行ったのでしょう。頑張れ。世界が待ってる!!
さて平安仏教のみならず、日本仏教の方向転換をなしたのが「空海」です。空海は774年香川県善通寺市に生まれ18歳で都にでて、大学に入りましたが数年で自主退学して、出家してます。(三教指帰によると、ある僧から、虚空蔵求聞持法を学んで出家宣言です)大学を辞めた空海は非公認(私度僧)の僧となって四国などの山岳で修行を行い、室戸岬の洞窟で空海は口の中に金星が口に入る神秘的な体験をしてます。そして、洞窟からの穴から、青い海と空が見えたそうで、それにちなみ空海と名のりました。(本名は佐伯真魚で、幼少の時から仏性が合ったのか、海に飛び込み、自ら生死を体験したりしてます。佐伯姓は宮島も佐伯郡といぜんいわれてましたので、四国から出て、佐伯一族の地域を訪ねて山岳修行をしてます。岐阜、長野、福井、等も佐伯姓があり尋ねていき、山岳に上ってます。ちなみに、室戸岬の洞窟は神社になってます。)804年に最澄とともに唐にわたり長安にて学んでますが、最澄は国費での留学で期間が1年でした。空海は自費留学ですので時間無制限でありました。空海は中国で最先端の学問=密教を青龍寺の恵果に師事しました。最澄は広く学ぶこととは対照的に空海は密教1本に絞りました。博学と専門の違いです。恵果は大日如来から続くとされる密教の正統の後継者で、胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅の教義を統一した人物で、恵果の下で集中的に修学した空海は、3ヶ月奥義の伝授にまで至りました。いかに空海が周到に準備して受法して唐に行ったかわかります。言葉や文字は仏教では中国の漢文でしたので、さほど当時では困らなかったそうです。バイリン的だったのでしょう。実は恵果から密教の正統なる後継となった空海は帰国しますが、当初はまったく注目されませんでしたが、持ち帰った経典などの内容が明るみになるにつれ、一躍、時の人になってます。そして、詩文、漢詩、経における書は日本3大書家として有名となり、時の嵯峨天皇自らが空海の書を求めたそうです。嵯峨天皇も書道の達人で、ともに認め合ってます。「弘法の筆の誤り」は空海のことです。いかに達人であったかです。
真言宗は墨、硯、筆、和紙、等を大切にして、書の修行もあります。空海は嵯峨天皇の認可もあり、精力的に、密教を広めていきました。また、芸術、社会事業、土木、庶民の子弟向けに綜芸種智院の設立(学校&塾)などの教育事業にも独特の能力を発揮してます。嵯峨天皇から密教の道場として京都の東寺を受けたまわってます。このように空海はマルチに活躍しましたが、目的は密教の普及です。
空海のの思想の根幹は即身成仏にあります。仏と行者が一体となることで、今この瞬間の仏の境地に至るという理論です。六大(世界を構成する六種の根本要素)という物質面から見ても、四曼(世界のあり方を表す四種の曼荼羅)という現象面から見ても、一切のものは一体であり融合しているのだから、三密(身・口・意)の行いを正しく行えば即時に成仏はなされるという説はさまざまな修法の理論的根拠となってます。時代的には、お経を唱えれば、極悪人でも極楽浄土にいけるという、発想までには鎌倉時代まで待たなければなりません。
空海の思想の革新的な点は、現世を大日如来の現れとして肯定したことにあります。それまで迷いの世界として現世を否定してきた仏教は、空海の登場により「生きるための」信仰に変貌していきました。このような教義は空海独特のもので、恵果から伝えられた教えを発展させたものです。最澄が自己の教義を完成でなかったのに対して、空海は理論から実践にたるまでの精緻な体系を一代で確立したのでした。835年3月21日に高野山にて入定。(入滅でなく、入定としてるのはいまだに空海は生きていらっしゃる)。さて密教を次回説明します。密教誕生から意味までです。平安時代になると、数珠や仏具、様式も整い始めてました。
生きるための仏教を開いたのが、空界であり弘法大師です。日本では哲学、思想、等が独自で生まれてきたのが、平安時代です。今から1300年ぐらい前です。
顕空 南無大師遍照金剛 合掌礼賛
コメント