全国に皆さん こんにちは!!
政治が暑くなりました。自民党も総裁選に向けて動き始めました。大阪維新の会も民自で50人が転向のようであります。
さて、どうなるか見ものです。
韓国、中国、ロシアは外交がうまいですね。ピタリト日本が内政的なときにきますが、外交のセオリーなんでしょうね。
日本の危機管理は原発を見てもわかる様に、甘いというほか無いです。これで富士山が爆発したら東名、新幹線、送電線、インフラ等危機対策は出来てるのでしょうか。もう一度考えたほうがいいようです。シリアでは内乱中です。世界を見たら、戦闘中が多く、昔なら、竹島、尖閣は戦争条件になるぐらいの出来事です。
海外ではいまだ戦後ではないようです。国境が無いのは、オーストラリア、NZ、日本ぐらいですね。後は台湾です。大陸民族と海洋民族の違いがあるのかもしれません。いまだヤルタ会談、ポツダム宣言、東京裁判、 サンフランシスコ条約を引きずってます。日本よ頑張れです。
さて仏教入門の序章をキリスト教と少し比較して書きましたが、神の子として聖書を基にして(新,旧)人生の規範となす西洋、一人の人間として、対応する仏教は
教えの拡大も違います、宣教師がいて世界中に出て行ったのに対して、仏教はインドから東に伸びていきました。キリストは多くの奇跡を起こしましたが、釈尊は奇跡も起こしてません。この違いは大切ですが、共通点があります。それは輪廻転生(リーインカーネーション)です。命、魂は永遠であるということです。
人類の英知の共通点です。命、魂、について改めて考え、現世に生を受けて、なぜ存在しているか、宿業、因縁、業、運命、定め、、、、。見つめてみるのも心の奥が広がると思います。
釈迦の長きにわたる布教活動の中で、インド各地には釈尊を敬う弟子達がの集団(サンガ)が形成されていきました。キリスト教も同じく漁師、大工と比較的当時は身分が低い人たちが使徒として使えてます。。ですが釈尊の入滅後100年がたつころになると、サンガは釈尊の定めた戒律の解釈をめぐり、保守派(上座部)と進歩派(大衆部)に分裂してしまいます、これを根本分裂といいます。前者は戒律を厳格に守るべきと主張するのに対して、後者は時代に即して戒律を緩めるように主張しましたがさらにこの2派は以降も分裂を重ね(枝末分裂)計20もの部派が生まれました。各部派は我こそは釈尊の正統な継承者だといい、さまざまな教学を確立させていきました。部派仏教全般に言える特徴は仏教教団が出家者を中心に成り立っていたことです。悟りにいたるには出家して絶えず修行を積む必要があり、在家のままでは救われないと考えられていました。こうした部派仏教に反発から紀元前後、大乗仏教が新たに興り、大乗仏教は、出家者だけでなく、すべての人々を悟りへ導くべきだと主張し、「般若経」や「法華経」といった大乗経典を編纂していきました。キリスト教の新約聖書に相当するものですね。キリスト教も出家同然で宣教師となり
伝道していきます。聖地エルサレムから西に広がりました。東西に分かれていったのがこれも見えざる大きな意志があったのでしょう。
部派仏教と大乗仏教に別れた仏教が中国に伝わるのは、釈尊入滅後400年〜500年経た時代です。中国では多くの仏典が漢訳されました、今度は漢訳された仏典の正当性をめぐって、僧侶の対立が始まり、それぞれが信仰する経典を元に教えを説くようになりました。これが「宗」の興りです。
インドから経典を持ち帰ったのは「三蔵法師」です。インドの語源を漢字で当て字にして発音してます。経典は9000巻〜12000巻あるといわれており、三蔵法師の生まれ変わりが「空海」とも言われてます。天笠(てんじく)=インドです。当時では命がけの旅だったでしょう。
「衆」は僧侶の兵隊が10人で単位として衆と呼んで言われてました。大衆=多くの僧侶の兵隊が平安時代の呼び名です。
平安時代までは、仏教は貴族クラスの教養でしたが、多くの僧侶が下山して、民衆の中に入っていき、極楽浄土をときました。
やがて、蘇我氏と物部氏の対立につながりながらも、日本はうまく、神道と仏教を融合させていきました。
次回は具体的に13宗をUPしていきます
顕空 南無大師遍照金剛 合掌礼賛。
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