皆さん こんにちは!!
広島は市内の南端にある国立公園である元宇品(もとうじな)の案内です。
私が幼稚園のころから、遊びに来てました。小学校のころは、海水浴、水族館、に動物園でライオン麒麟、象、大きな海がめ
小さい鯨とかいました。昭和の時代ですそれも30年代の初めです。夏は毎日来てました。夕陽丘3丁目のまんまです。
パンが5円、アイスクリームが5円、カキ氷が10円の時代です。元宇品の大自然でくすのきに上がるし、ブランコもありました。
灯台から見る瀬戸内と船と白い航跡、夕日がいまだに心にあります。段々畑があり、肥え(人間のくそです)を撒いてました。
リサイクルの見本ですね。アケビを取りにきのうえに上がり、落ちたりと、それでも平気でした。いまだに、山の中で見た
紅くもの巣の大きさとグロテスクな形と色は覚えてます。みんなが、がきんちょ、でした。みんな、貧乏で、給食は脱し粉乳ですし
肉は鯨でした。それもアルミの食器で、ストーブは石炭でした。自然に火や自然、に触れてきたのでしょうね。
今の20代30代の方は信じられないでしょうね。風呂は五右衛門風呂でした。レンガみたいな大きな石鹸で頭髪から体まで使ってました。夏は蚊帳をはり、白黒のTVで相撲とプロ野球とアンタッチャブルとか逃亡者、プロレス、月光仮面とか見てました。
TVも真空管で映るまで時間もかかり、おまけに、チャンネルの大きなダイヤル式の丸い部品が取れたりと、面白、おかしく
貧乏でしたが、平和でした。何よりも、希望と未来がありました。映画は3本連続が当たり前で、大きなねずみが、舞台の上を走ります。
夕方になると、道路で七燐(ひちりん)に練炭をおき、その上で網(金)に魚、鯨の肉を置いて皆さんやいてました。今なら、毎日、キャンプ気分です。
お風呂屋さにいくと、カラーTVでした。総天然色です。エアコンがなく家から車まででした。今の生活は、凄いです。
わずか45年ぐらい前の庶民の生活です。学校にプールが出来て、あまり海に行かなくなったこと覚えてますが、毎日がサバイバルゲームでしたね。
先生は怖い、親父はもっと怖い存在でしたし、やはり家では父が1番でした。尊厳がありました、先生も同じです。よく殴られました。
デモ平気でした。日々楽しく、野球、サッカー、山には防空壕がまだあり、ろうそくで奥深く行きました。2B弾と言う爆発する花火があり
それで、人の家の屋根を焼いたり、寺の屋根に上がり下りられなくなり大変でした。賽銭箱の金は取るし、今なら新聞沙汰です。
大人と社会にまだ衣食住が足りなく、子供どころではありませんでした。いい意味で放任でそれを社会が受け入れてました。
ストレス社会ですね。いじめはありましたが、誰かが止めてました。
私の10代までの話と、当時変わらずある灯台とくすのきです。感謝です。生きてることに感謝です。
明日は、最強スポット(皆さん持ってます)の具体的案内をします。
顕空。合掌。
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