最後のご案内ですが、真打登場です。堂内の白亜の壇上には、大日如来を中心にして五智如をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一体の仏像が安置されています。これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密教浄土の世界)です。
真ん中が大日如来像です。その智慧の光明が、昼夜の別のある日の神の威力をはるかに上回るところから、大日如来といいます。密教では最高至上の仏とされ宇宙の森羅万象は総て大日如来の徳の表れといられてます。
いかがでしたでしょうか。次回は三十三間堂です。6日は護摩法要と密教の星祭がありますので、明日はお休みします。
さて、今回も、原始仏教の仏典からのことわざ を書きます。
ダンマパダ(法句経)の言葉。
物事は心に導かれ、心に仕え、心によって作り出される。もし人が、清らかな心で話し、行動するなら、その人には楽が付き添う。あたかも身体から離れることのない影のように。
実にこの世では、恨みによって、恨みが鎮まることは決してない。恨みは、恨みを捨て去ることで鎮まる。これは永遠の真理である。
ためになることを、いくら散々語っていても、それを実践しなければ怠け者である。それはたとえば牛飼いが他人の牛の数を勘定しているようなものだ。そういう者h、修行者とは言えない。
たにんの間違いに目を向けるな。他人がしたこと、しなかったことに目を向けるな。ただ、自分がやったこと、やらなかったことだけをみつめよ。
愚かな人はが自分を愚かであると考えるなら、その人はそのことによって賢者なのである。
愚かな人が自分を賢者だと考えるなら、その人はまさしく愚か者だ、と言われる。
自分の罪過を指摘し、叱ってくれる智慧深い人というのは、自分に財宝のありかを教えてくれる人と同じであり、そういう賢者にであったらならつきしたがって行け。そういう人に従えば、よい事があり、悪いことはない。
戦場において百万人にかったとしても、ただ一つの自分に勝つことの出来る者こそが、最高の勝者である。
皆様 いかがでしたか?2500年前の言葉です。人間の歴史は、欲望から来る、自己との対話の連続で、因果応報なんです。
善は急げ、心を悪から遠ざけよ。徳を積むのにのろのろしていたら,心は悪事に憑かれてしまう。ですね。
損して徳を取れ、一時的な財産、地位、名誉、子供は未来永遠に自分のものにはならない。ただ預かってるだけだ。
法句経は日本人に大変人気があり、身近な心のあり方を、提案してくれてます。
顕空。合掌。
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